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甘さと辛さ

 奇しくも今回は前回の武田泰淳の妻、百合子の話。別に続けるつもりは毛頭なかったけれど本当に偶然。先日テレビの番組表で武田百合子の名前を見た。何か本、映画などに出てくるお菓子をネタにするもので、その話に出てくるお菓子を当時の材料などを考慮してちょっと再現しつつ作ろう、という番組。もちろんただ作っても仕方ないので映画なり、本なり、作家なり監督なりを紹介するものだ。

 今回のお菓子はチョコレートパフェ。武田泰淳と知り合ったばかりの百合子はデートの度にチョコレートパフェを食べていたらしい。その随筆が紹介される。そもそも武田百合子は食べ物の話が多い。しかしただのグルメ雑文ではないし、逆に食べ物をネタに文体を見せつけるわけでも、嫌な言い方だと食べ物を使って自己主張するわけでもない。大病を経験し、歯を失った男が枇杷を食べ昼寝する。生前の夫の姿を描き、その様子を振りかえるだけの小品『枇杷』にしても、枇杷の瑞々しい様子と共にそれを必死になって旨そうに食べる夫を描く。

 おそらくであるが、彼女は「旦那さんを早く亡くして可哀想」などと言われる位置を拒んでいたと思う。書こうと思えば非劇の妻をいくらでも演じることができた。これだけの文才があればなおさらのことだ。『枇杷』にしても「この頃は弱っていたけれどまだ元気でした」という結びではなく、「夫が二個食べ終るまでの間に、私は八個食べたのをおぼえています。」という若干コミカルにも思われる文章で締めくくられる。ただし、だからと言って強がったり、夫の話題を避けたりは決してしない。『犬が星見た ロシア旅行』のあとがきとして、この旅行が最後の夫婦旅行となり、泰淳が亡くなった後、旅を共にした竹内好も相次ぐように亡くなった事を述べる。彼女は「夫や竹内さんに会いたい」でなく、「私だけ取り残された」というような直接的な表現でなく、二人は宇宙船にでも乗って仲良くまだ旅行を続けているように感じている、と述べ「わたしはどこで降りてしまったのだろう」とだけ書く。

 あと私が個人的に彼女の文章に妙な寂しさを感じたのは、夫が亡くなってもう10年以上経過した頃の『日々雑記』の話。近所で焼き栗を買いに行く、焼き栗のおっちゃんはお客さんのおばちゃんとずっとおしゃべりしながら「オマケだよ」と少し多めにいれてくれる。そこでもらったお釣りが50円足りない。百合子は食ってかかる。するとおしゃべりしていたおばちゃんが必死におっちゃんを弁護する。しまいには「わたしは、この目で見たよ。この人がこの手で50円玉ちゃんと渡すのを!ちゃんと見たんだから!」とおっちゃんの手をグッとつかむ。ここで百合子は「恋をしているのだ」と一文のみ書く。その後、家に帰ると焼き栗の袋の中から50円玉が出てきた、と締めくくられる。「恋をしているのだ」という一文で完全に焼き栗の場面から帰宅した後の話になっていることで、自らの疎外感が大いに感じられてしまう。

 さて話はお菓子の番組に戻る。再びチョコレートパフェが出てくる百合子の作品、『あの頃』を紹介する。見事な作品である。夫の友人である、埴谷雄高に泰淳の病気を伝える時である。百合子はささっとチョコレートパフェを食べた後に伝えると、埴谷は手を顔に当て泣いているのを隠し、パフェに手をつけるのをやめてしまう。非常に悲しく、辛い場面なのにもかかわらず、ここでも焦点はパフェである。

 この場面が非常に印象に残っていた。そして昨日、私は番組を観た影響か、パフェを注文して食べた。するとふと思い出した。20年ほど前、私も武田百合子と(というか、埴谷と)似たような形でパフェを食べていた。入院する母の見舞いの帰りに、父が私と兄を連れ駅前の喫茶店へ。(喫茶店どころかもうビル自体が存在していない)そこで好きなものを頼むように我々兄弟に言った後に、母の病名と余命が長くないことを伝えたのであった。私も結局パフェを全部食べたっけな。

 甘い物は決して楽しく、ウキウキしたものばかりではなく、辛い時や悲しい時にこそ響くのかもしれない。

# by yokohama0616 | 2013-08-29 21:54 | 芸事

恥を背負う

 武田泰淳は「司馬遷」の冒頭にて「司馬遷は生き恥さらした男である」と始めている。宮刑を受け、その後書き続けた生涯をさしたものだろう。武田泰淳自身も「恥」という概念を背負い続けている。エッセーであるが、「小説をわかっていない、外国語もできない、でもなんとかこの国に生まれた一人の人間として小説を書けないだろうか」というようなことを書き、まさに「恥をさらしながら書き続けたい」と明言している。

 恥とはなんであろうか。私は祖母と暮らしている時分から、彼女が「人がなんと言うかわからない」というようなことを行動基準にしていることを疎ましく思ったりしていた。つまり恥をかかないように生きる。つまりは恥をかかなければよい。道徳としては単純明快であるが、窮屈でもある。家族からは「あれが(彼女の)基準だから」、「ある意味(彼女も)被害者だ」などという意見もあった。いずれも正しいと思う。

 昨今、みんなが大好きなテレビなどでちょっとでも失言でもしたら、すぐに動画があげられる。そのテレビも、その発言をした人間すら知らない人間でも、その動画をみることもできる。ツイッタ―などで妙な発言をして、「いけね」と削除したところで、誰かが記録していて、さらされることもあるかもしれない。ようは恥がさらされやすい時世になっている。

 ということで、皆さんとにかくいい子ちゃんになる。余計なことは言わない、ニコニコする。変なことを言えば、見ず知らずの人間からもぼろくそに批判されることになる。批判されるのは有名人のみならず、一般人も。見えない目を大いに気にしながらインターネットなどをつかう。たかがコミュニケーションツールだろ?たかがパソコンだろ?人に迷惑をかけない限り、何を書いてもいいんじゃないの?嫌なら見なきゃいいんだろうが。

 とか書くだけでも「原始人の意見だな」とかヤリダマに挙げられるのかもしれない。くわばらくわばら。みんな口では言うんです、「人の目を気にしてちゃだめだ」とか「陰で悪口を言うのはよくない」とか。でも発言する通りにはいかない、恥を気にする性分は、おそらく人間が社会性を持った時点で発生している。だから司馬遷も、私の祖母の時代の人間も、みんな気にしていた。そしてもちろん現代も。現代の方が根は深いかもしれない。本当に「見えない誰か」が大きく、そして当たり前になってしまっているから。

 政治家同士のやりとりも、キャスターの失言も、ちょっとしたイザコザもすべて次の日には周知される。謝罪をしようが削除をしようが、誰かが必ず記録している。ある意味怖い社会だね。そして前日には非難していた側の人間が次の日には非難されるかもしれない。政治家や役所だけが事無かれ主義ではなさそうだ。

 恥を背負いながら生きるっていうのはどういうことなんだろう。謝罪すればいい、ってもんでも、どこかの市長のように開き直ればいいってものでもなかろう。やはり『ひかりごけ』の世界、あの達観した世界なのだろうか。

# by yokohama0616 | 2013-07-22 21:31 | ひとりごと

武豊と私

 だいぶ前の話になるけれども、日本ダービーをキズナが制した。最内枠であったので、レース前は前方につけるのではないか、などと予想もあったようだが、結局いつも通りの追い込みにかけた。見事なレースだった。

 ダービーは全ての馬にとって一度しか取るチャンスはない。歴史的名馬でも勝てないときは勝てない。天皇賞春を連覇したメジロマックイーンも、グランプリを連覇したグラスワンダーも、ダービーだけは勝っていない。(まあこの2頭は出てもいないけど)しかし人は何度でも取れる。とはいえ、やはり競馬に携わる人間にとって最高の名誉であるダービー、それほど簡単に何度も勝てるわけではない。現役で2度以上勝っているのは四位と武豊だけである。しかし武豊は今回、5勝目ということになった。スペシャルウィーク、アドマイヤベガ、タニノギムレット、ディープインパクト、そしてキズナ、と。どれもこれも名馬だなあ。個人的には生で見たタニノギムレットが印象的だ。ディープが強いのは間違いないが、「どうせ勝つだろ」と思っていてレースが終わっていた。

 私が競馬に関心をもったころ、武豊はすでにトップジョッキーであった。ほうっておいても一年にG1を1,2回勝って、どうせ年の終わりにはリーディングジョッキーになっている。正直いってあまり面白みを感じる騎手ではなかった。それよりは派手なレースぶりの田原や冷静な的場などの方が好きであった。また武豊が乗っている馬で好きな馬もそれほどはおらず、タニノギムレットくらいであったし、どちらかと言うと応援している馬のライバルになることが多かった。
 
 そしてスペシャルウィークで皐月賞に負けた時「いいかげん、中山競馬場の内と外の有利不利の差を考えてほしい(スペシャルウィークは18番の外枠だった)」と発言したり、サイレンススズカが予後不良になったときに「なぜ故障したのでしょう?」などという質問に「理由は『わからない』じゃなくて『ない』んだ!」とキレていたり。どちらかといえば勝利にこだわったプライドの高い騎手というふうに映っていた。とにかく技術や能力は間違いなく1番であることは認めていたが、特に応援する気はなかった。

 しかしここ最近は武豊の勝ち星もそれほど伸びず、怪我をしてから、そして騎手会長になって騎手と馬主との間に立つようになってから、デビュー以来最低の勝利数であったり、どうひいき目に見ても不調であった。しかし私はちょうどそのころから武豊を応援するようになっていった。未勝利戦や500万下など格の低いレースに勝って小さなガッツポーズをする姿はそれまで見たことのないものであった。勝ち星が伸びない中、テレビのドキュメンタリーやインタビューでは、今でも自分にとって最高のフォームや騎乗法を模索中だと言い、「もっと勝ちたい」よりも「もっと上手くなりたい」ということを繰り返していた。かと思えば、CS放送で自分の番組をもっており、定期的に放送がある。その中では後輩達と楽しそうに談笑したり、大きなレースを勝った後輩騎手達を迎えて対談をすることもあった。番組上なので明るく振舞っていたが、内心はいかなるものだったことか。

 というわけで、この数年、武豊の動向や発言などにはやたらと注意を払っていた。そしてその結果、ダービーという最高の殊勲を手にした。極端な言い方だが、リーディングジョッキーになることよりも、他のG1にいくつも勝つよりも、ダービーひとつの方が価値は高いのだ。他人事ながら(最近はめっきり馬券も買っていないので本当に他人事である)とてもうれしかった。勝ち星も今年はそれなりに順調そうで、さすがにトップではないが、10位前後の位置は保っている。そして秋にはキズナでの凱旋門賞が控えている。

 とりあえず受難を乗り越えたかに見える武豊であるが、下半期もまだまだ注目して楽しめそうだ。

# by yokohama0616 | 2013-06-24 22:56 | 時事

好きな哲学者は?との問いには、満面の笑みで「ベルグソンです」と答えるようにしている

 先月か先々月の話になるが、ふとニーチェでも、と手に取ったのは『この人を見よ』。悪名高きニーチェ晩年の作品である。この本の章からしてすごい。「なぜ私はこれほど賢いのか」「なぜ私はこれほど利口なのか」書いていて恥ずかしくなる題名である。ニーチェが晩年狂って死んだという要素を抜きにしても、学生だった頃の私はこの題名などを見て「こりゃあかんわ」と思った。少し読んで「あー、哲学者なる人も狂っちゃうんだな」などと思った程度であった。それをあえて手に取ったのはドゥルーズのニーチェ論による。当時ジョイスの論文を書いていた私はドゥルーズのニーチェ論の中にジョイスについてほんの少しだけ触れている、と知ってその本を手に取った。(ジョイスについて触れているのは本当に<ほんの少し>であったが)すると「晩年のニーチェを軽んじるな」と何度も主張している。

 それから何年経っただろう、それからもたまに『楽しき知識』などをパラパラとすることはあったが、晩年の作品だけはなぜか読まなかった。で、ようやく手にとってみた。で、読んでみると、意外と面白い。6、7割くらいは「この人いっちゃってるでしょ」という笑いを含めた面白さ、残りは「いやあ、実にニーチェらしいなあ」という面白さ。ニーチェのとらえるドイツ、ドイツ人気質を忌み嫌い、女子供を見下し、同情や道徳などを軽んじてあしらう。

 ニーチェというのは基本的にアフォリズムの人である気がする。ただもしかしたらニーチェのみならず、哲学と呼ばれているものはアフォリズムにしやすいなのかもしれない。たとえば『AとはBである。そのBは一見するとCであり、多くの人はあたかもそれがCそのものであるかのように錯覚するが、Dの点で完全に異なるものとなっている。よってAとはCではなく、Bなのである』とか書けば、これほど中身のないことでも、妙に哲学めいた話のように聞こえるから不思議だ。だからこのようにかつての哲学者の論などを妙に簡略化して説明(啓蒙、と呼ぶべきか?)する本が時おり出版される。昔だと『ソフィーの世界』とか。最近だと『寝ながら学べる構造…』、ゲホゲホ。一緒にしちゃ失礼か?(誰に?)

 閑話休題。しかし私はどうもアフォリズムは好きではない。正直に言うと、本質的には嫌いではないのだが(そうじゃなきゃ『楽しき知識』をパラパラしませんね)、なんちゅうか名言集とかと同じ匂いがするのが気になる。名言集は前後の脈絡を無視している。愛読書は『イチロー語録』です、とか言われると「イチローに罪はないし、あんたをバカにする気もない。ただ『イチロー語録』は<読む>ものじゃなくて、<見る>ものだろ」と思ってしまう。さらにもう一歩、タチ悪いのは「あなたを勇気づける一言」とか「明日から変わるための50の言葉」とかそういう…まあなんと言いましょうか、自己啓発本ってやつですかね。本を読むことによって何かが得られるという甘えというか盲信というか…。過程はともかく、一番簡単な手順で結果が欲しい、という根性が見えるというか…。ま、そんな匂いを嫌うからか、アフォリズムまでもちょっと軽んじてしまうところがある。

 考えようによっては、先に書いたような哲学を紹介するような本も似たようなもんだけれども。原典に当たらないで知ることができる。インターネット上のウイキペディアなどで理解したつもりになる人は論外として、読む方も書く方も「これが原典へのきっかけになればいい」などと認識しているのならばまだいい。しかし、どうしても人は先入観を持ってしまうし、無意識に影響を受けてしまうことも多々ある。私だってドゥルーズの文が無ければ『この人を見よ』を再読しなかっただけでなく、を面白く感じたかどうかわからない。

 哲学が難しいからと言って、できるだけわかりやすく、簡単に解説されてしまうところに問題があるのかもしれない。結局は文学と一緒のはずなのに。ベルグソンの『物質と記憶』の文章がいかに情熱的で感動的であるか。あの情熱的な文を知らずして「あ、ベルグソンね。時間が人間そのもの、って人でしょ?」と認識しているのはもったいない。逆にベルグソンをしっかり読んで勉強した人は、あの文章に感動しているのだろうか。実に興味深い。
 とはいえ、哲学の教養はないし、素地もない、ニーチェもわからないし、ベルグソンも難しくて読んだとは言えない私がこんなことを語っても「お前、論点ずれてるよ」と一蹴されるのかもしれないが。

# by yokohama0616 | 2013-05-20 21:50 | ひとりごと

私の食べてきたもの

 元来私は食いしん坊であると思う。幼少のころから「食べ過ぎちゃダメ」と言われることはあっても「もっと食べなさい」等と言われることはほとんどなかった。
 
 10,11歳から祖母と暮らし始める。祖母は田舎の人間であることもあり、大量の食事を作る。成長期の間は彼女を満足させるだけの量を食べることができたが、成長期を終えるとそうはいかない。それ以降の食事は私にとって義務であり、一種の拷問であった。食事が出される。あれこれ食べろと勧められる。満腹になり断ると「せっかく作ったのに」とか「食べてくれないなら作らなければよかった」とか「外で何か食べてきたのか?」とか小言のような説教のようなことを言われる。ごくたまに友人と外食するときだけ、好きなものを好きな量だけ(適度な量だけ、と言うべきか)食べられる。しかしそれもほとんどない。祖母は外食を嫌うので「友達と食べる」などと言うとあからさまに文句を言う。平和主義者である私はそういったやりとりも面倒なので友人の誘いも断るばかりであった。高校、大学の頃に友人と遊んでいても、夕飯時になると「家に夕飯があるから」と帰宅していた。皆と学校の近くの食堂やどこか有名なラーメン屋などに行っても、私は家で食べるからと断ったり、飲み物だけ注文するようなことばかりであった。

 要は私にとって基本的に食事というのは面倒なことであり続けた。食事を楽しむなどということはほとんど理解できなかった。「やれやれ飯の時間か」というものであった。ある種の太宰治ですな。食のありがたみを知り始めたのは一人で暮らすようになってからだ。相当遅いと思う。今となってはありがたいというか恵まれていたというか、食事の準備にどれほど苦労するか、栄養の配分などにどう頭を使うか、など考えることなかった。ましてや作っていたのは当時70を越えている祖母。今となっては感謝するばかりである。

 あと私はインスタントラーメンだとかそういった類の出来あいの食べ物を家で食べるようなことがほとんどなかった。先と同じ理由、胃袋の中にそんなものを入れる余裕がないまま成人になったからだ。一人で暮らすようになってからも、やはり習慣からなのか、そういったものを買う事はほとんどなかった。今でもまずない。レンジでチンするだけで食べられるもの、お湯だけを注げばできるもの、などを貰ったことはあるが自分から買ったことはない。コンビニのおでんというのも口に入れたことはたぶん5回に満たない。料理、自炊というほどではないが、自分で何かしらやっている。

 サリンジャーの『フラニーとゾーイ』の中で、母親が引きこもってしまったフラニーを心配し、チキンスープを毎日用意する。しかしフラニーは「私は現実に疲れた、神の世界に行きたい、信仰のために生きていきたい」などと述べてスープに手をつけようとしない。兄のゾーイは妹フラニーを叱責する。「お前な、現実に疲れるのも信仰に生きるのもお前の勝手だよ。ただ母親が娘を心配してスープを作るという宗教的行為も理解できないで信仰とか言ってるのはおかしいぜ。まずお前がやるべきことは部屋から出てチキンスープを飲むことだろうが」と。(ここまで砕けた喋りではないと思うが)

 食べる=宗教的行為、という言葉には強い説得力を感じた。もちろんキリスト教における日々の糧の意味を考えてもそうだけれど、人種や宗教だとか関係なく、守るべきものに対して食べ物を用意するという行為は文句なしに尊い。もちろんそこには常に原罪が発生している。が、野良猫が子猫のために食べ物を取ってくる様子を見て、誰が猫を残酷だと批判できるだろうか。

 そういう意味ではそういった宗教的行為を受けてきて本当に恵まれていたのだと思う。最近では人が何かを食べている姿を見るとホッとする。身近な人間であればもちろんだが、赤の他人でも老人が何かを懸命に食べている姿などには一種の感動を覚える。10歳にとってのケーキと30歳前後の体重を気にする女性にとってのケーキ、あるいは子供にとっての初めての蟹と老人にとっての久々の蟹は意味が違うかもしれない。しかし口に運んだ瞬間、個人の好き嫌いはあるだろうが、味わう感覚は同じである。逆に一人で食べるインスタントラーメンと、親友と語らいながら夜中に食べるインスタントラーメンの味はおそらく違うはずである。視覚や聴覚もそうであろうが、そういった感覚は決して独立したものではない。何かを共有する感覚というものは確実に
存在し、それが人間の感情や知覚にも大きく作用する。人が一緒に卓を囲んで食事をするのも、つまるところ共有する感覚を求めるが故であろう。この共有を求める感覚、これがある意味人間の思考や行動を支配していると言ってもいいかもしれないが、それはまた、別の話。

# by yokohama0616 | 2013-04-10 19:22 | 自己紹介