人気ブログランキング |

<   2012年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

できあがっていたイメージ

 先日、図書館で小林信彦の本を借りた。『天才伝説 横山やすし』というものである。昔から色々な意味で気になっていた本である。

 まず小林信彦がなぜ彼に関する本を書いたのかよくわからなかった。落語や東京出身の芸人(それも特に戦前から戦後にかけての芸人)については語るものの、関西の芸人についてはノータッチ、というスタイルと思っていた。たしかダウンタウンかナインティナインについて「ああいう下品な関西弁は耳にあわない」というようなことを書いていた。そして私が漫才師としての横山やすしをよく知らないという点がある。私にとって横山やすしはガラの悪い痩せたチビのおっさん。しょっちゅう喧嘩したり、偉そうなことを言ったりして、息子まで暴力沙汰を起こして、私が中学生くらいの頃に他界した人。そのくらいの印象である。あ、強烈なものを忘れていた。横山やすしは天才的漫才師、現代にもやすきよ漫才はおおきく影響をもたらしている、というようなイメージである。

 実はだいぶ前にやすきよ漫才をYOUTUBEで見た。「やすしは破滅型の天才、きよしはそんなやすしを受け止める人の良い女房役」という印象を持っていたが(こういう印象というのは、いつの間にか、気づかぬうちに持ってしまっているものである。くわばらくわばら)、実際にみてみると西川きよしも充分にボケている。いや、むしろ、どちらかといえばきよしの方が激しくやすしをネタ(家族であったり、暴力事件であったり、ボートの話)にして、やすしは「やかましわ、ボケ!」とか返す。そして口のまわり具合とテンポには大いに感心したが、腹を抱えて笑うようなこともなかったし、もっと彼らを見たいとは思わなかった。

 本の話に戻る。読み始めると小林信彦は横山やすしと仕事上、何度も関わっていたことを知る。そういえば彼は放送作家・中原弓彦だったのだ。結論から言うと、おそらく小林信彦は横山やすしを天才的漫才師とは思っていない。もちろん能力は認めているけれど、マスコミやまわりに振り回された結果、彼が伝説上の<天才>になったと考えているのだろう。上岡龍太郎は「やすきよ漫才は過大評価」と言い切っているらしい。ではやすしが伝説的な<天才>となって得をするのは誰か。西川きよしである。

 西川きよしの振る舞いは実にしたたかだ。きよしが参院選に立候補したとき、(おそらく漫才ができなくなることを危惧していた)やすしはきよしに対して強烈に毒づいたらしい。選挙後に初めて一緒にテレビにでたときには「恨んではいないけど、20年も一緒にやってきたのに応援してもらえなかったのは本当に辛かった」と述べ、今後も老人福祉のために漫才も続ける、と言う。やすしの方はすねた様子で「おれは他人のために漫才なんてやらんよ」とか返す。その後も「政治家になったら漫才なんて続けられるわけがない」という態度を示す(実際それはやすしの意見が正しいと思う)。当時、なにかのインタビューで西川がやすしを「自分で火に油をそそぐような人なんです」と評す。その後にまさに漫才師ではなく政治家顔負けの一言を付け加える。「どうぞ理解してやってください」

 やがてやすしは飲酒運転で会社を解雇される。参院選に立候補するも落選。その後詳細不明の喧嘩で大けがを負い、3か月以上の入院と失語症。96年に肝硬変で他界。51歳。(見かけよりもずっと若い。ポール・マッカートニーより年下じゃないか!)テレビで葬儀を放映したらしいが、そこで西川きよしはスピーチ内で「約束を守ってくれてありがとう!本当に感謝してる!あれはぼくとおまえだけの秘密や」と述べたらしい。マスコミは当然、「約束とはなんですか?」と聞く。きよしは「勘弁してください。誰にも言えません。墓場まで持っていきますから」と返す。誰にも言えない、墓場まで持っていく覚悟のあることを、なぜカメラの前で宣言する必要があったのか。

 で、ここまでほとんどが本による伝聞である。で、私の記憶では、たまに横山やすしの特集番組なんかがあると、常に西川きよしはゲストとして呼ばれ、自分の漫才を見て涙を流して笑う。そしてやすしはすごかった、彼とコンビを組めて幸せだった、ということを述べる。今さらであるが、別に私はやすしが被害者できよしが腹黒いヤツだと言いたいわけではない。涙も、笑いも、そして相方への感謝の言葉も全て本心によるものかもしれない。私が奇妙な心地悪さを覚えたのは、無意識ながら持ってしまっていたイメージについてである。冒頭にあげたような<横山やすし>像は一体なんなのだろう、何によってどのように作られたのだろう。

 別件だが、この本によって今まで全く興味なかったが「売れない時を過ごさなくちゃ、いい仕事はできない」と言い、多忙により仕事を断る際に「売れなくなったら、またなんでもやりますから」とニヤっと返したという、萩原欽一のイメージは変わった。そして名前しか知らなかった<いとし、こいし>の漫才を見てみたら、なんとまあ面白い。この兄弟、旅芸人の息子なのね。腹を抱えるわけではないが、何度でも見たいと思える、品のある、温かい漫才芸であった。ま、元々私が爺さん好きであるってのもあるんだろうが。
http://www.youtube.com/watch?v=pnOOTvLrHwU

http://www.youtube.com/watch?v=5JnNDOGIsT0&feature=related

by yokohama0616 | 2012-02-22 22:33 | 日常

知識や経験を足枷にするか、武器にするか

 高校の終わり頃から大学の始め頃まで、ウディ・アレン映画を良く観ていた。決して現在は嫌っているわけではないし、昨今の映画監督をそれほど良く知らない私にしては興味のある監督であることはあるのだが、最近は別に追いかけているわけでもない。

 で、考えたのだが、ウディ・アレンの代表作といえば何になるのだろう。ハンナとその姉妹?世界中がアイ・ラブ・ユー?カメレオンマン?カイロの紫のバラ?まあ色々あるのだろうけど、個人的に最も観た作品はアニーホールということになるかもしれない。正直言って、作品の質としては私の中のもう一人の私、それにスターダストメモリーなどの方がずっと上だと思う。しかしかつて何度も観たという事実を抜きにしても、今この場で代表作を選ぶとしてもアニーホールということになる。もちろんアカデミー賞を取ったからとかそういう理由ではなく。

 アニーホールは実に「らしい」んですな。アニーホール以前のコメディタッチを残しながら、それでいてペダンチックでもあり、さらにスノビズムを嫌悪している。映画の列の中でフェリーニの悪口をベラベラとまくしたてる男に対し嫌悪感を示し、さらにマクルーハンの話になったときには実際にマクルーハンを呼び、その男に説教させる。まさにウディ・アレンらしい。あとこじゃれた小話や表現を上手く使うのも彼らしい。「私を歓迎するパーティーには参加したくない」が信条であり、「うわ、何このまずい料理?それも量もこんなにちょっぴり」というのが彼の基本的な人生観である。「先生、妻が病気なんです。自分が鶏になったと思い込んでいて、自分は卵を産むと思い込んでいるんです」「すぐに治療させなくては」「でも先生、僕も卵を見たい気もするんです」というのが彼にとって男女の仲の在り方である。

 ドストエフスキーの代表作は『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』、『悪霊』などであろうが(余談だが、ドストエフスキーの作品の題名ってのは完璧だね。題名だけで文豪の作品という空気を充満させる)、彼にとって自分のスタイルを作ることになった重要な要素として『地下室の手記』を考えないわけにはいかない。小津安二郎にとっても代表作は『東京物語』であろうし、野田高梧は『麦秋』を取り上げるだろうが、スタイルを作ったといえば『晩春』ということになるだろう。スタイルを作ったというのはすなわち、それ以前、それ以後で語ることができると言うことだ。ドストは『地下室』以前以後で、小津は『晩春』以前以後で作品を考えやすい。(小津は間違っても戦前・戦後ではない)

 で、ようやく話の締めになるんですが、かつてのロラン・バルトのテクスト論じゃないけれど、作品は作品のみで論じるのもそれはそれでいいんだけれど、それが絶対的に優越しているとも思いませんな。例えばウディ・アレンで言えば、スターダストメモリーを「フェリーニのもじりだな」とだけ一蹴するのはあまりに浅墓であるし、スターダストメモリーとして評価してあげなくてはさすがに可哀想だ。(ウディ・アレン本人はその悲劇を自覚しているんだろうが)しかしあの作品内にあるフェリーニらしさを見逃すわけにはいかないし、ウディ・アレンがどのようにそれを取り入れたかは論じる価値がある。作家の精神性みたいなものに触れるには諸作品の流れやその時代性を探ったりするのは不可避であろうし、はまれば(大変だけれど)楽しい。作品を一つの存在としてとらえる、といっても、そもそも、A、Bという作品が同じ作家の作品と知っていたら、それらを読んだ時に多少なりとも比較はするものだしな。そういった情報を排除する才能でもあればいいんだろうが、そんなわけにはいかない。
 あらゆることに言えるんだろうが、本気で作品や作家の精神に触れるには、細部まで見逃さない知識と、その知識に振り回されずに何かを見出す注意力が同時に必要だということでしょう。いやあ、大変そうだ。あー、よかった学者なんかにならなくて。

by yokohama0616 | 2012-02-15 22:45 | 芸事

うん、そうだ。虫けらとは父ちゃんみたいなもんだ。

 つげ義春の『カメラを売る』という作品がある。漫画家に見切りをつけ、色々な先輩から教わりながらカメラ屋になろうと決意するも、やがて失敗に終わる。そして公園にて子供を傍らで遊ばせながら、それまで登場した多くの先輩の一人ひとりの顔と名前を思い浮かべながら「お世話になりました」と礼を述べ、何かを祈るように合掌する。最後は子供の手を取り、並木道を歩いて行く。

 題名がいかんせん地味であるが、つげ作品の中では特に好きな作品である。漫画家に見切りをつけ何か(石屋、カメラ屋、雑誌の編集などなど)をやろうとする、という彼の私小説的作品においては頻繁にある展開であるが、この作品は特に感慨深い。やはり最後の合掌場面だろうか。この手のつげ作品での息子の役割も重要だ。物語の最後には「お父ちゃん、僕迎えにきたよ」とやってくる。かならず「迎えにくる」のだ。

 歯切れのいい題名かつ代表的作品といえる『無能の人』も石を売ろうとする話だ。こちらの方は妻の人間性がなかなか強烈である。夫に面と向かって「ろくでなし」と言い、団地内でチラシを配るバイト中に夫とすれ違っても夫を無視する。(息子は「お母ちゃん、お父ちゃんだよ」と言い続けるにもかかわらず)しまいにゃ息子に「お父さんは虫けらだ」と言っていることが判明する。『カメラを売る』の方ではそれほど強烈な妻ではない。漫画家の方は「あいつも変ったな。結婚当初はかわいいもんだった」とか思い出すことはあるが。

 この手のつげ作品において、重要なのは決して物語の展開ではない。物語の展開はSF的なもの、もしくは不条理的なもの(と言い切っていいのかしらん?)で充分やっている。『義男の青春』、『無能の人』など私小説的なもので問われるのはそこに顕現する精神性である。つまりは人間の俗っぽさであり、性であり、不甲斐なさである。女性が「二人とも見ないでねえ」と言いながら路上で用を足し、男は後にその尿をじっと見つめる。これは吉本隆明が言うようにエロティシズムでもあろうが、当たり前のように物語の伏線にもなる。思えば女性が性欲を顕わにする話も多い。そしてたいていの場合主人公である漫画家は(芸術的な)漫画を描くという行為に対して後ろめたさ、畏怖みたいなものを抱いている。「どうせ描いたって売れない」、「ゲージュツとか持ち上げられていることなんて」などと頻繁に述べる。その後ろめたさから他の商売に手を出そうとする。作品名を失念したが、何かの終わりには妻が「あんた、自分だって漫画しかないってわかってるんでしょ。今まで他のことやるっていって本気でやったことなかったじゃない。お願いだから漫画描いてよ!」と泣き、子供も横で泣き始める。作品内のキャラクターがつげ本人とは限らないが、この場面においては珍しく自分に対して言い聞かせたのだろうか。

 基本的には作品内の漫画家が、漫画に取り組んでいるようなことはない。やはり漫画は描けない、描きたくない、ということが前提となっている。そしてそのため妻と子供は貧しい生活を強いられ、本人は余計に忸怩たる思いを強める。そういった意味ではつげ義春の私小説的作品は全てアポリア(袋小路)そのものである。しかし決してただ暗いだけではないのがつげ作品のすごいところである。先に挙げたように常に<迎えに来る>子供の存在は重要な救いになっているし、そうでなくても達観しているというか、どこか悲しみを悲しみと捉えない何かがある。

さてさて、つげさんはどうしているんだろうね。最後に描いた作品は『別離』か。個人的に(直前まで悲しくない、暗くない、と言っていたけれど)、実に<悲しく、暗い>作品に思える。若い男が女に振られるだけの話の方が、家族を背負った中年男の不甲斐なさと先行きの見えない不安よりも悲劇的に見えるのはどういったことだろう。私の見解が正しいとすれば、つげさんは<暗く悲しい>作品を描くようになったのかな、それとも<暗く悲しい>作品を描くようになってしまったのかな。

 こんなこと書いていたら、つげ作品を読みたくなってきたな。これがつげ義春の魔力かな。

 翌日追記:そんなことで読んでみたところ、題名を大きく間違っていた。私が『無能の人』と思っていた作品は『石を売る』であり、題名は失念した、といっていた作品は『無能の人』であった。勘違いとはすごいものである。そして『無能の人』は、妻の顔を影にしており、ほとんど描かないという徹底ぶりであった。いやはや。

by yokohama0616 | 2012-02-07 22:53 | 芸事